歌手として活動している瀬川瑛子(せがわえいこ)さんですが、どのような家族構成か気になりますね。
今回は、瀬川瑛子さんの家族構成について調査しました。
瀬川瑛子の家族構成
瀬川瑛子さんの結婚後の家族構成はこちらです。
- 夫
- 本人
瀬川瑛子さんの結婚前の家族構成はこちらです。
- 父
- 母
- 姉
- 本人
- 弟
瀬川瑛子の夫
瀬川瑛子さんの夫は、清水武さんといいます。
夫はドラマーで、瀬川瑛子さんのバックバンドに入ったことがきっかけで、2人は出会ったそうですよ。
現在はプロデューサーとして瀬川瑛子さんをサポートしているようです。
最初に好きになったのは瀬川瑛子さんのようですが、そのきっかけは…
2人でレストランに行った時に、清水武さんがストロベリーパフェを注文したこと
瀬川瑛子さんもストロベリーパフェが大好物だそうで、「この人だ!」と思ったそうですよ。
食べ物の好みって一緒に過ごす上でとっても大切ですし、ピンッと来るのは分かる気がします。
瀬川瑛子さん、清水武さん共に離婚歴があるため、小さいけれど大きい部分も大切にしたのかもしれません。
プロポーズは瀬川瑛子さんの方から、「一緒に良い年とろうね」としたそうですよ。
そして、1999年9月27日に東京都目黒区にある「大鳥神社」にて結婚式を執り行いました。
当時、瀬川瑛子さんは52歳、清水武さんは45歳でした。
瀬川瑛子さんの方が7歳年上で、姉さん女房のようですね。
自身でデザインしたミニスカートのウエディングドレスを着用し、当時メディアを騒がせた瀬川瑛子さん。
ミニのウエディングドレスを着たい一心で9キロ減量したんです。ストレッチ運動をして甘いものをセーブ。
引用元:婦人公論
ミニスカートのウエディングドレスを着るのが昔からの夢だったようですね。
夫婦仲は良好
夫は、ゴミ出しや洗濯などの家事もしてくれる家庭的で優しい人だそうですね。
特に料理に関しては、「板前でもやっていたのか」と思うほど上手だそうで、急なリクエストにも応えれてしまうほどなんだとか。
結婚から25年ほど経っていますが、「ダーリン」「ハニー」と呼び合い、今もラブラブだそうです。
そんな仲良しな二人ですが、喧嘩をしてしまうこともあるそうで…。
瀬川瑛子さんが見たがった「相棒」を一緒に見ていた時のこと。
夫は聞き取れなかったりすると、その都度勝手に止めてしまうそうです。
それで瀬川瑛子さんはイラっとしてしまったようですね。
夫は身長が180cm以上ある関西人…、負けるもんかと瀬川瑛子さんはつい言い返してしまうそうです。
喧嘩が長引き、寝室を分ける「家庭内別居」したこともあるそうですよ。
喧嘩の迫力に愛犬たちも震え上がるほどらしく、「愛犬のため」に仲直りすることが最近のお決まりのようですね。
夫は直腸がん
瀬川瑛子さんの腸の検診の時についていき、一緒に検診を受けたという清水武さん。
「腸の状態が良い」と言われた瀬川瑛子さんに対して、夫は中々戻って来なかったといいます。
20個近いポリープを取ったそうですが、もう一個大きいものがあると告げられたそうですね。
このままにしていたら(夫は)長くはないというような…。もうびっくりしてしまいまして、直腸がんだったんですね
引用元:スポニチアネックス
10時間くらいかかると言われた手術、実際には13時間半かかりましたが無事成功しました。
一緒に検診に行ってなかったらと思うと、ゾッとしますよね。
瀬川瑛子はバツイチ
清水武さんと結婚した瀬川瑛子さんですが、実はバツイチだったことがわかっています。
24歳の頃にレコード会社の社員だった方と結婚しました。
歌手としては遅咲きだった瀬川瑛子さんですが、1986年に発売された命くれないがミリオンセールスを記録する大ヒットとなりました。
1987年のオリコンシングルチャートでは1位を記録し、累計売り上げは170万枚にも及びました。
多忙を極めていたこともあってか、命くれないの歌詞にある「生まれる前から結ばれていた」や「だから死ぬまで二人は一緒」とはならずに夫婦生活は破綻していました。
当時の夫とは別居状態にあり、「命くれないを歌う資格があるのか?」と自分に問いながら歌うことの苦しさを初めて感じたそうです。
瀬川瑛子さんが38歳の時に当時の夫と離婚しています。
瀬川瑛子の子ども
瀬川瑛子さんには、子どもはいないようです。
若い頃から仕事で忙しくされていたため、それどころではなかった可能性もありそうですね。
先ほどお話しましたが、夫とは今もラブラブなようなので、それも関係あるのかもしれません。
瀬川瑛子さんは「歌は子どもと同じ」と発言していたり、犬を飼っていることも分かっているため、歌や愛犬が子どものような存在なのは間違いないでしょうね。
「けんかした時に仲直りするのは愛犬のため」という話もあったため、2人の仲を取り持ってくれているのは愛犬なのかもしれませんね。
瀬川瑛子の父親
瀬川瑛子さんの父親は、瀬川伸(せがわしん)さんといいます。
大正5年10月24日生まれで、実家は「蘭亭」という料理屋さんだったそうですね。
実は瀬川伸さんは「施延雄」という中国名を持っています。
そのため、「中国人なのか?」と言われているようですね。
しかし調べてみると、北海道函館市生まれの日本人で中国人ではないようです。
瀬川瑛子の父親は函館出身なんだよな。-函館ステップ-
— 高橋直樹 (@izatate) March 12, 2013
実家の「蘭亭」は支那料理(中華料理)のお店だったらしいので、ルーツをたどると中国の血が入っているのかもしれませんね。
父親は歌手ですが、デビューのきっかけとなったのは「素人のど自慢」での優勝でした。
そして1936年にレコードデビュー、1951年にリリースした「上州鴉」がヒットし、翌年の紅白歌合戦に初出場しています。
引退を明確に表明はせず、1965年頃までは歌手活動を続けていたようですね。
「歌手・瀬川瑛子」の生みの親
瀬川瑛子さんは5歳の頃に歌のレッスンを始めました。
子どもたちの誰かを歌手にしたい
という父親の思いが大きかったそうです。
『函館から体一つで上京した自分が、多くの方とのご縁に恵まれ、こうして家を持ち白いご飯を食べることができるのは、歌手になったおかげだ』というのが口癖でした
引用元:Wikipedia
父親にとって、歌手という職業は特別なものだったのでしょうね。
父親は朗らかで面白い人だったそうですが、歌になると人が変わったかのように超スパルタになるそうです。
例えるなら、『巨人の星』の星一徹そのものなのだとか。
「歌詞を見て歌えばいいってもんじゃない、感情を乗せて」と指導されたようですが、5歳の瀬川瑛子さんは意味が分からなかったそう。
練習をしていたとされる菊池章子さんの「星の流れに」の作詞について調べてみました。
5歳の子には到底理解できない世界ですよね。
泣きながら家出しようとしたけど、バス停で見つかり連れ戻された…、なんてエピソードもありました。
それでも何とかレッスンを続け、小学生の頃から父親のステージの前座で歌ったりもしていたようですね。
そんな瀬川伸さんですが、2004年3月14日に心不全で亡くなっています。
瀬川瑛子の母親
瀬川瑛子さんの母親は、瀬川たか子さんといいます。
一般の方なので、あまりプライベートなことは公表されていないようですね。
詳しいことは不明ですが、瀬川瑛子さんが中学生の頃、大井町で喫茶店を経営していたようです。
2004年3月14日に瀬川伸さんが亡くなったと先ほど紹介しましたが、瀬川たか子さんはその2週間前に亡くなったそうです。
「妻が亡くなると夫の寿命が縮まる」という話を聞いたことがありますが、信ぴょう性のある話なのかもしれませんね。
瀬川瑛子の兄弟
瀬川瑛子さんには、姉と弟がいます。
お二人とも一般の方のようで、名前は分かりませんでした。
瀬川瑛子の姉
姉も瀬川瑛子さんと一緒に歌のレッスンをしていたようです。
しかし、要領の良い姉はいつの間にかレッスンを辞めていたのだとか。
「本当は私も辞めたかったんですけど、“私まで拒絶したら父が可哀想だ”と思っていたら逃げ遅れた(笑)」
引用元:Wikipedia
姉は父親のレッスンは辞めたものの、10代の頃に歌手活動をしていたそうですね。
姉は70歳で亡くなったそうです。
死因については不明ですが、4年間人工透析をしていたそうなので何か持病があったのでしょうか。
瀬川瑛子の弟
弟は子どもの頃から病弱だったようで、入院していることも多かったみたいですね。
瀬川瑛子さん曰く、弟はテニスプレイヤーの錦織圭選手に似ているそうです。
それもあって錦織圭選手を家族の感じのように見ているのだとか。
試合を観戦しているのはもちろんのこと、いつかは海外に応援にも行きたいと話していましたよ。
弟の現在については明かされていないようですね。
まとめ
今回は、瀬川瑛子さんの家族構成について調査しました。
7歳下の夫と愛犬たちと仲良く暮らしていることが分かりましたね。
父親の厳しいレッスンを耐え、今の瀬川瑛子さんがいることも分かりました。
瀬川瑛子さんの今後の活躍にも期待しましょう。
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